福岡移住 のまとめ

東京から 福岡移住 した私が語ります

もともと仙台出身である私が東京の職場を退職し、 福岡移住 したのが2012年6月。
あれから4年が経過しようとしています。
やっと語れる感じになってきたかな・・・っていうくらいの余裕が出来てきたので初心を忘れないうちにまとめておこうと思いました。
これから福岡に移住を考えている方の参考になればうれしく思います。

とりあえず私について・・・

私について…

株式会社ジーティーアイ 代表取締役 さとうです。
私はもともとミュージシャンを志して18歳の時に仙台から上京。
以来、コンビニ・マクドナルド・清掃業・寿司屋さん・ルートドライバー・土建屋さんを経て29歳の時にシステムエンジニアになりました。

マイコンブーム以来の熱が突然めざめる

なんか突拍子もない感じに見られますが、プログラミング自体は小学校5,6年生の時に「マイコン」ブームがあり「マイコンベーシックマガジン」っていうのが流行って
当時NECのPC-6001とかPC-8001とか富士通のFM-7とかシャープのMZ2000とかが主流の時代に裏に住んでいた友達の家にあったお医者様のお父様のシャープMZ-700で初めてのプログラミング言語「BASIC」にハマりました。

その時から中学で音楽に目覚め、じゃんけんに負けてベースを始めるまで富士通のFMXっていうMSXをお父さんに買ってもらって続けてました。

以来ずっと頭のなかで「プログラミング」している自分がいました。

そこから1996年ころマック(当時はPowerMac PC4400という機種)を買ってパソコンに久しぶりに触るまでの間、ずっとサブルーチン化しないとプログラム自体がわけわからんことになるな・・・って漠然と思い続けていましたw

ノストラダムスの予言が外れ現実を見る

そんな私がミュージシャンで飯を食うのを諦めた2000年。ノストラダムスの予言で世界が終わると思っていたので1999年を超えて人生設計が全く無かった自分に気がついたんです。

土建屋さんをやりながらプログラミング

これじゃあかんって思って当時勤めていた土建屋さんをやりながらプログラミング再スタート、IT会社に勤めようと思っていろいろ問い合わせ・・・29歳で異業種参入だと面接までいかない・・・w

ただ、一社だけ来てみるだけ来てみて・・・って言ってくれて、面接に行くまでに「ハッタリ」でブラインドタッチを習得(笑)

なんとかIT企業に就職

その甲斐あってか、来月から来てくれ・・・と(笑) それまでJavaって言語習得してね・・・って。 え!?まぁ、いいかって本買って帰って(笑)

いざ就業してみたら…

こんな初心者にもっと初心者の女子を付けられて面倒見てくれってw

Java出来ますよ!ってハッタリきかせながら昼聞かれたことは夜勉強して次の日答えるっていう不審な行動を続け(よくやったなぁwww)

なんとか1ヶ月、バレずに次のプロジェクトは大規模です・・・って えwwwwww

今も慕っている上司に出会う

そこで某年金システムを開発することになって現「株式会社コンサイズ」の大高氏と出会い低給料でやっていた私を見るに見かねて独立時に誘ってくださって世界が広がりました。後に今までいた会社は相当なブラック企業だとわかりましたが、今まで足場の上とかで作業していて「寝たら死ぬ」状態にいた私は「寝ても死なない」この環境が天国でしかなかったw 

大好きなプログラミングがずっとできるしね!

福岡移住へ

そんな私がそれから13年くらいIT業界で働いた東京を離れて福岡へ移住しました。

それから4年、移住を考えている方に参考になれば・・・ってことでまとめてみました。
今回、ちょっと長文になってます。

はじめに「福岡のいいところ」からご紹介しまーす。

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