寝たらダメだ!からの天国

フラッとした

今、ちょっとフラッとした。

これは即死を意味する場合がある。

とにかく肉体労働は大変なのです

冒頭の言葉、これは建設現場で足場の上に上がっていて眠くなったときにふとした一瞬ガクンとなったときの記憶である。

こういう死の恐怖は一生忘れない。安全ベルトはしている。ヘルメットもかぶっている。

だからその後フラっとしてスルッとなってガタンってオチても死んでないと思う。

でも、落ちていないからこそ限りなく死の恐怖は間違いなくそこにあったのだ。

逆に落ちてたら・・・なーんだっていう世界があったのかもしれない。

でも、落ちなかった。フラッとした瞬間の恐怖だけが体に刻み込まれたのだ。

ブラックな現場だったわけではなく・・・

こういう書き方してると「どうせブラック企業で長時間労働させられてたんだろう」ってなりがちだが、肉体労働の現場はホワイトだった。

8時に就業して(現場により朝早いことはあるが)5時には上がる(同じく遠い現場だと事務所に帰るまで運転してたりはするが)。

10時には朝の休憩。12時にはお昼ごはん12時半からちょっと昼寝して15時にはおやつタイム。

すごくホワイトなのです。

でも私が肉体労働していた最後のほうはとにかく眠かった・・・。

夜中勉強していたから。

Yahoo!の衝撃

1997年くらいからインターネットしてた。

Macintosh Power Mac 4400

POWER MACINTOSH 4400/300 G3(G3Booster300を付け、メモリも96MBにしました。)OS 8.5.1

〜wayback で見つけた昔の記録より〜

こんなスペック。

メモリ96MBってなんだっけ?そんな単位だっけ?確かHDDは2Gだったような4Gだったような。

とにかくこんなマシンで見たYahoo!は鮮烈だった。

一体全体、Yahoo!のなかみはどうなってるんだろう?

その疑問からすべてが始まった。

いろいろ調べたら(Googleではなく雑誌とか本で調べた)

どうやら CGI っていうのがなかで動いているらしい。

そして、なぜかマイコンブームでMZからPC6001とかMSXとかの時代にBASICをマスターしていた(っていっていいと思うレベルに習得していた)のですんなりプログラミングの世界に戻っていった。

Perlっていうので書いたプログラムが.cgi って拡張子で動いている。

とにかくパーミッションは 755 。

perl は .pl ってときもある。

画面的には html で書いてあって(当時 cssとかいう概念はない)

ちょっとインタラクティブな動きは JavaScript でやっている・・と。

なにがどうなっているかわかったら勉強するしかなかった

そんなこんなでドハマリし夜中勉強する・・・・。

なぜなら、夜11時から「テレホーダイ」タイムだから。

よなよなチャットもやっちゃう icq とか自作とかterraさんのとこの改造したchatとか使って。

プログラマなんて職業はインベーダーゲームが作れないと出来ない職業であって・・・

と思っていたから、敬遠していた。高卒だったからということもあったかもしれない。

敬遠していたが、こうなったらプロで飯を食いたくなった。

そう思ってから、なぜかブラインドタッチを習得した(笑)ベテランに思われた方がいいと思った(笑)

perl と JavaScript でなんとかなる!ってよくわからん自信をつけ就職試験を受けたいから電話かけまくった。

当時、テックビーイングとかいう就職斡旋雑誌があったような気がするw

片っ端から電話したが4社目まで空振りだった。すでに29歳っていう年齢がダメなんだと。

5社目でやっと「来てみませんか?」って言われた。

次の日、履歴書書いて表参道の雑居ビルへ向かった。

よくわからなかった面接と採用

話しを聞いてもらえるのが嬉しかった。

正直なところ、就職戦線に参加したことがなかったので(バイトやりながらバンドやってたので)

こういう緊張自体が初めてだった。

とりあえず自分がどうしてこの業界を知り、入りたくなったのか語った。

それだけだった。

面接マニュアルとかあったなら全然違うやり方だったと思う。

面接先の人になんか気に入られた。

役にたったブラインドタッチ

ブラインドタッチ習得したのは正解だった。

その場でPCに履歴書打ち込まさせられた。

ええ、自分のカード自分で作るの??これって採用されている体なんじゃないの?

とにかくキーボード見ないでディスプレイだけ見て打つ僕に面接官はうっとりしたに違いないw

12月半ばだったと思う。

まだその場にいるのに「採用だから」って言われた。

え!?そんなもん??

この業界軽いなwと思った。

「1月から現場だからWindowsマシン買ってJavaっていう言語勉強しといて」って言われた。

Java !? What’s Java? JavaScriptとちゃうの??

まぁ、なんでもいいから勉強しよう。目標が出来た!くらいの感じで本買って勉強し始めた。

当時 Java1.3が最新版、Java1.2の本が多いくらいのとき。

Enterprise Java Beans ? こいつ何いってんの?

そんなときが流れたw

現場って!?いきなり後輩つけられた

1月からの現場・・・といいつつ1月半ばから就業が決まった。

そのために面接行った。

え!?面接ってこの前のは??? 「1月半ばから採用だから」って。え!?1月から言うたやん!

そこから現場に入ることになっていきなり後輩という名の先輩(とはいっても年下女子)がくっつけられ面倒見ている体で先輩である体で現場に入ってくれと言われました。

なにこの状況!?

要するにブラックSES派遣だった

まぁ、そこを批判する気はないんですが、要するに誰でも突っ込んで生き残ればいいね的な会社だったんですよ。

実際、私はそんなことでもなければこの業界に入ってこれていないわけでこんな構造自体にこの件では突っ込まないようにしていますw(あくまでもこの件ではです)

そこで最大月間472時間の労働をして勉強させていただきました(今思うと)

実際は「出来るやつ」ということで採用されて現場に入ったので「これどうやるんですか?」って他の人に聞かれたら「これこれこうです」っていう立場だったんですよ。

でも、わかるわけないじゃないですか(笑)ついさっき入ったんだもんw

ってことで「ちょっと調べておきます」ってわけのわからない言い逃れをして次の日に

「昨日の件なんですが・・・・こうやって、こうなるのでこうするとですね・・・」って答えられるように勉強しておきました。超しんどいw

だって聞いてきた人の方がよっぽどこの業界長いんですよ。「なにしてるんですか!?あーたは。」って今なら小一時間問い詰めたい感じですが、答えられることでなんとかメンツを保ってきました。

メンツを保つために勉強せざるを得なかったって感じ。サイテーですねw

こんな付け焼き刃が通るほど当時 Java の現場は Java技術者がいなくて欲していたわけですね・・。

そこでの「出来るやつ登場」だったわけで・・・・誠に申し訳ありませんでした。

そんな中、素性がバレる

どうも、様子がおかしいなぁって思ってた人がいたわけなんですよ。

オオタカさんっていう現在 株式会社コンサイズの社長さんなんですが「なんかこいつおかしいな」って思われてましたw

タバコルームで談笑・・・ところでさ・・・って、なんか全部バラしちゃいました。

あーーースッキリしたーーーーー

オオタカさん、よくやってきたねぇって、面白がってくれて(笑)

助かりました。

おかげでこのあと、このオオタカさんに誘われて株式会社コンサイズの前身の会社に参加させていただいたんですよ。

ああ、あのときオオタカさんに会ってなかったら今どうなってたかな・・・。

その節は大変ありがとうございました。

今もあります。 株式会社コンサイズ こちらのサイトです。

っつうわけで寝ても死なない天国でした

あれから紆余曲折をかなり経て今日があるわけですが

好きなこと出来て「寝ても死なない」この業界が大好きです!

これからもよろしくお願いいたします!

こういう経験があるので異業種から転職してきた方にはすごく思い入れが強かったりします(笑)

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